その2

翌日、親戚の家に車を置いて、閖上の途中まで乗せてもらった。

小学校より東は通行証が必要になる。

小学校で下ろしてもらって徒歩で行くことにした。

閖上小学校。

遠くにサイロが見えるが、サイロから海、というか浦まで1キロ以上ある。右方向が海だ。

地震が起きて、警報を知って、ここまで逃げてくるのにタイムリミットが30分。

もちろん直線距離で1キロだから、実際はもっとあるわけで。

道路は混雑したため、車を捨てるまでの判断の時間、そのわずか数秒の差が命の差になった。

東部道路を越えて完全に逃げられた車両はどのぐらいあったのだろうか。

 

小学生は非常によく訓練されていたそうだ。

 

一見綺麗だが、もちろん小学校の中はぐちゃぐちゃです。

親戚の車発見。超目立つ。

でもまぁ、廃車ですな。

小学校をちょっと出るとやっぱりぐちゃぐちゃ。

フェンス結構頑張った。

ここから親戚の家に移動。

正面はサイロ方面。ちょっと異臭がする。

歩道橋の上から。

歩道橋にいて助かった人もいるが、歩道橋の柱に鉄塊がぶつかっていたら、歩道橋もなくなっていただろう。

閖上中学校。ここも避難は可能だった。

ちなみに、この区域は1933年の昭和三陸津波でも沈んでいる。

「ここに家を作るなー」的お達しはあったらしいが、なんかなぁなぁでうやむやのうちになくなったらしい。

ここから車の通行証が必要な区域。

この区域はまだ瓦礫の撤去が行われていない。

海岸に近い区域から行っているようだ。右奥にあるのは保育園。

保育所の子供たちは車に乗せて小学校に避難、無事だったが、閉所になってしまった。

どんなに泳ぎがうまくとも、人間が生き延びられると思うかね?

生協って未だに組合員のバッチ無いと買い物できないんだっけ。変なシステムだな…

とかどうでもいいことを思い出した。

ずーーーーーーーーーっと向こうまで、なーーーーーーーーんもない。

みーんなみーんな流されたんだよわ。

親戚の家に到着ー!

土台しかないよ…結構新しい家だったのに…

てゅーか新しい家なのに津波のこと考えないで作っちゃったのか…親戚よ…

去年撮っていた家の中。

祖父と祖母の写真しか撮ってなかった。

現代アートかと思ったが、よくみたら電柱だった。

どんな力が加わったらこんなことになるのだろう。

携帯しか持ってなかったので、指がたまにうつる。

消防署閖上出張所。

ここに勤めていた方も亡くなった。

この近くの葬儀屋に逃げ込んで助かった方もいた。

波間から救助を求める人の声がしても何も出来なかったそうだ。出来るはずがない。

葬儀屋の損傷もかなり酷く、倒壊してもおかしくなかった。撮り忘れたが…

見慣れた古い餃子の看板が、津波そのものの存在を肯定する。

 

つづく